比嘉一志監督 Interview
比嘉一志(ひがかずし)
1984年、愛知県豊田市出身。大学卒業後、地元企業で自動車関係のエンジニアとして勤務する。就職8年目に「人生一回、やりたいことをやろう」と映画監督を志し、上京を決意。30歳で東京の専門学校に入学し、卒業後は水谷豊監督、深川栄洋監督などの現場で助監督を務め、経験を積む。
2019年、中編『焦げ。』が第14回田辺・弁慶映画祭に入選、第12回福岡インディペンデント映画祭優秀賞などを受賞。2022年の長編『光る校庭』では、横濱インディペンデント・フィルム・フェスティバル2022 長編部門最優秀賞、第21回中之島映画祭グランプリを受賞した。近年は Souvenir『流星群』『Olive』などのミュージックビデオも手がける。本作『劇情』は、その Souvenir の楽曲に着想を得た一作となる。
( Chapter 01 )
30 歳から、映画の世界へ。
──比嘉一志監督は、もともと映画の世界で仕事をしていたわけではなかったそうですね。会社員から映画監督を目指すまでには、どんな道のりがあったのでしょうか。
比嘉一志監督(以下、比嘉監督):大学を卒業してから、地元の愛知県豊田市で、自動車関係のエンジニアとして働いていました。仕事が嫌いだったわけではありませんし、周りの人たちにもよくしてもらっていたと思います。
ただ、就職して 8 年目に入った頃、仕事で悩むことが増えて、心身のバランスを崩してしまったんです。そのとき、自分を助けてくれたもののひとつが映画でした。人生は一度きりなのだから、やりたいことをやろう。そう思って会社を辞め、30 歳で東京の専門学校に入りました。
同級生は 10 代、20 代ばかりでしたから、自分が遠回りしてきたという自覚はありました。卒業後は助監督としてさまざまな現場に入り、映画がどうやって出来上がっていくのかを、体で覚えていった感じです。
自分の中では「40 歳までに劇場公開作品を作る」という目標を立てていました。それが前作『光る校庭』で達成し、さらにその先の目標について、少しずつ手が届き始めている実感があります。それが、とても楽しいです。
「もう無理かもしれない」と思ったことは、正直ありません。助監督時代から大変なことはたくさんありましたし、監督業に本格的に取り組むようになってからも、初めてぶつかる壁ばかりです。それでも、かつて夢見ていたことを実際にやれている。その楽しさのほうが、ずっと大きいんです。
それに、ここで僕が「もう無理」と思ってしまったら今まで応援してくれた家族や友人に顔向け出きません。良い作品を作り、1 日でも早く有名な映画監督になることが恩返しだと思っています。
──もともと、子どもの頃から映画が身近にあったのでしょうか。
比嘉一監督:比嘉監督:実は、大人になるまで映画を観る習慣はほとんどありませんでした。子どもの頃の記憶として残っているのは、風邪をひいて学校を休んだ日の午後、具合が良くなってから母に連れていってもらった『ドラえもん』くらいです。
むしろ大きかったのは、会社員時代に出会った『ソーシャル・ネットワーク』でした。なぜか強く心を惹かれて、毎日のように観ていました。当時、通勤に使っていた車の中でも流していたほどです。後にも先にも、あれほど繰り返し観た作品はないと思います。
映画の原点というより、僕が映画の世界そのものに興味を持つきっかけになった作品ですね。
豊田市出身ということもあって、クルマやバイクも昔から好きです。映画に出てくる車両には、これからもこだわっていきたいと思っています。
普段も基本的には、作品の種になりそうなことをずっと妄想しています(笑)。子どもが生まれてからは家族中心の時間も増えましたが、一緒に映画館へ行くことも多いです。
3 歳の息子が『ラ・ラ・ランド』のオープニングを好きだったり、『シン・ゴジラ』の真似をした
りしていて、すでに映画好きの片鱗を見せています。
( Chapter 02 )
一曲と、一夜の語らいから。
──映画『劇情』は、どのようなきっかけから始まったのでしょうか。そして、登場人物には比嘉監督自身も投影されていますか。
比嘉監督:きっかけは、Souvenir の杉山悠佑さんが「いつか映画の主題歌を作りたい」という夢を話してくれたことでした。それを聞いて、「じゃあ、やりましょう」とその場で提案したんです。
その後、『劇情』という曲を聴かせてもらって、「この曲だったらいい映画になりそう」と思いました。もうひとつ大きかったのが、プロデューサーの赤峰勇一さんとの出会いです。
前作『光る校庭』を刈谷日劇で上映した際に知り合って、その日のうちに意気投合しました。翌朝までお互いの夢について語り合って、そこから「『劇情』を一緒に作りましょう」という話になっていきました。
脚本を書いている段階から、田島には「今の自分」を、彩には「会社員だった頃の自分」を重ねていました。だから『劇情』には、映画を作っている今の自分と、まだ映画の世界へ踏み出す前の自分、その両方がいるのだと思います。
普段から「どうすれば、もっと良い映画が撮れるだろう」と考えています。ですから、もし『劇情』を撮っていなかったとしても、きっと別の作品を作っていたと思います。映画を撮ること自体が、今の自分の日常になっているんです。
( Chapter 03 )
映画は、一人ではつくれない。
──自主映画としては大きな規模になった『劇情』の撮影で、今も特に印象に残っている瞬間はありますか。
比嘉監督:比嘉監督:いちばん印象に残っているのは、クライマックスの撮影です。エキストラが 200 名弱、
スタッフが 30 名以上。自主映画なのに、まるで商業映画のような規模の現場になりました。あの光景には、さすがに震えました。
でも、本当に印象的だったのは、人数の多さだけではありません。僕が一つひとつ指示を出さなくても、それぞれのスタッフが、それぞれの場所でプロとして仕事をしてくれている。
だから僕は、監督として演出に専念することができました。それは自分にとって、とても大きな経験でした。
──大きな予算や十分な環境があるわけではない中で、それでもインディーズで映画を撮り続ける理由は何でしょう。
比嘉監督:映画を撮りたいから撮る。それだけです。
これからは、商業作品でも活躍できる監督になりたいと思っています。そのためにも、まずインディーズで一つずつ作品を作り、実績を積んでいきたいです。
『劇情』も、撮影から完成まで約 1 年かかりました。金銭的な事情もあり、簡単に完成した作品ではありません。
だから、完成した映画を初めて観たときにまず感じたのは、「やっと完成した」という安堵でした。
( Chapter 04 )
CHAPTER 04|映画は、観た人のもの。
──完成した『劇情』を、これから観る人にはどんなふうに受け取ってほしいですか。
比嘉監督:すべてのシーンに思い入れがあるので、「ここだけは絶対に観てほしい」という言い方は、なかなかできません。
ただ、水谷豊監督が作品に寄せてくださったコメントにあるように、観ているうちに「こちらからその世界に入り込みたくなる」ような感覚を持ってもらえたら嬉しいです。
僕は、映画は観てくれた人のものだと思っています。だから、まずは作品の中に没入してもらいたい。そして観終わったあと、自分が何を感じたのか、それぞれの言葉で語ってもらえたら嬉しいです。
『劇情』にも、「あれって何だったんだろう?」と考えられる余白を用意しています。
すべてをこちらから説明してしまうのではなく、観た人によって違うものが残る。その違いも含めて、映画なのだと思います。
ぜひ『劇情』の世界に入ってみてください。そして、観終わったあとに何が残ったのかを聞かせてもらえたら嬉しいです。


