【REVIEW 03】『私は何度も私になる』映画評|闘い、傷つき、癒えるたび……私だけの《ボロボロの肉体》へ。(河合のび)

「Action!」

……かけ声と共に、カメラの前に佇んでいた俳優のすべては映画となり、監督とスタッフたちのすべては、映画となる俳優へと注がれていく。その刹那だけ、撮影現場という空間に偶然の積み重ねで居合わせた人々のすべてが、映画になる。

だが、「映画になる時間」は瞬く間に終わる。それでいい。ずっとすべてが映画だったら、人々は映画になったままだ。好きなご飯も食べられないし、いつか忘れる流行りの歌も口ずさめない。誰かを愛することも嫌うこともできずに、映画になったまま。そんなのは嫌だ。「Cut!」で終わるぐらいの刹那が、ちょうどいい。映画なんて、夢なんて、そのぐらいがちょうどいい。

映画なんて、そんなモノでしょ。

……『私は何度も私になる(原題:野蛮人入侵)』という映画と出会うまで、名前すら知らなかったタン・チュイムイ監督のそんな声が、聞こえてくる。カッコつけたセリフじゃない。マレー語も広東語も英語もろくにできないのに、彼女の肉声が、映画越しに聞こえてくる。

「若い頃の私は、映画がすべてだった」「だが、この年になると、すべてが映画だ」……タン監督自ら演じる主人公の元女優ムーンに、老監督ロジャーはカッコつけたセリフを吐く。そのセリフの真意は「ロジャーが監督する『ムーン主演の新作アクション映画』は、いつから撮影を開始していたのか?」という疑問で浮かび上がってくる。

冒頭、暗転した画面の中で撮影開始の声がかかる。そして、幼い息子のユージョウ(宇宙)の駄々と、長旅に疲れたムーンの顔が映し出される。

その後『私は何度も私になる』は、復帰作となる新作アクション映画に向けての武術稽古の日々、元夫ジュリアードとの共演話、ユージョウの誘拐と誘拐犯(?)との死闘、記憶喪失後の自己を探す旅を描く一方で、「一連の物語は、撮影中の新作アクション映画の一部だった」と観る者に気づかせる。だが、「映画本編のどの段階から『新作アクション映画の撮影中』だったのか」は、明確に描こうとはしない。

もし、映画冒頭の疲れたムーンの顔を映し出したシーンの時点で「新作アクション映画の撮影中」だったとしたら、どうだろう。映画序盤から中盤にかけて描かれた出産・離婚を経て引退した元女優というムーンの境遇も、全ては「新作アクション映画の主人公である元女優ムーンの作中設定」に過ぎず、ムーンを演じた女優は全く異なる名前・境遇の持ち主かもしれない。すべては、ムーン役の女優とかつて付き合っていたのであろうロジャー監督の、未練がましい空想の産物かもしれない。そもそもロジャーという老監督も……。

映画なんて、そんなモノでしょ。

……タン監督の言葉は再び、拳のように、肉体の真奥に鈍くメリこみ、震える。

学生時代に柔道・空手を習っていた当時の私は、格闘の中で痛みを感じるのが、ケガを負うのが、好きだったことを思い出す。そう語ると老若男女を問わず大抵ドンビキされるが、別にドンビキされるような理由で、わざわざ痛みを感じていたわけではない。

どれだけ優れた医者の治療でも、傷痕が残る場合がある。誰のものでもない、己の肉体に傷痕が残る。苦痛を味わいながらも、無心で構えて、歩み出す。そして傷痕が増えていくたびに、己の肉体は替えが効かない、唯一無二のボロボロの肉体になっていく。数年しか習わなかった武道において、それが何よりも好きだったことを、今思い出す。

映画という祭りが終わった後も現場に残り続けるロジャーのように、「すべてが映画になったはずなのに、また現実がやって来た」「どうして『すべてが映画のまま』じゃいられないんだろう」と思うようになりかけていた己の肉体に、何もかもを吐き出したくなるような衝撃と伴う苦痛が通り過ぎる。破壊され尽くした己の肉体はやがて癒える。傷痕は残る。だが、よりしなやかでしたたかな、新たな己の肉体が《ここ》に生まれる。

別に拳でなくても、拳のような言葉でなくても、私という肉体の破壊と新しい肉体への再生は起きる。

人はどうして時代が移り変わっても、暗闇の中で映画を観たがるのか。

私という肉体が暗闇に溶け込み、跡形もなく姿を掻き消された後、映画という光が浴びるように突き刺さり、私という肉体は無数の傷を負う。映画館を出た先の現実で、輪郭すら失っていたはずの肉体は再び生まれる。しかし暗闇が消え去った後も、映画という光が残していった見えない傷跡は残っている……。

映画を観るたびに、私は何度も私になる。その明快さ、痛快さ。

映画を観続けるほどに忘れがちなことを、『私は何度も私になる』は気づかせてくれる。

映画なんて、そんなモノでしょ。

……タン、監督。3発目は、流石に、脚、ガクガクです、よ……

(映画ライター / 河合のび)

Written by

河合のび

1995年静岡県出身。映画配給レーベルCinemagoの映画宣伝・統括にして詩人。映画評を寄稿する一方、『キック・ミー 怒りのカンザス』『Kfc 食人連鎖』のキャッチコピー作成、『獄舎Z』の字幕翻訳を精力的に手がける。2025年公開のタン・チュイムイ監督・主演作『野蛮人入侵(原題)』では、日本公開版タイトル『私は何度も私になる』を命名した。