映画『健康ちえのわトランポリン教室』香賀隆乃インタビュー|先生には悪意はないと思っています。

俳優 香賀隆乃 Interview

香賀 隆乃(かが たかの)

1989年生まれ、青森県出身。俳優。TIMEFLIES所属。主な映画出演作に『孤独な夜が明けるまで』「私記」など。石川皓一監督『健康ちえのわトランポリン教室』では、独自のメソッドを掲げる教室の「先生」役を演じる。

( Chapter 01 )

先生は、自分を疑わない。

──最初に脚本を読んだとき、先生をどんな人物だと思いましたか。人を救う人なのか、怖い人なのか、それともそのどちらでもないのか。香賀さんの第一印象を聞かせてください。

香賀隆乃(以下、香賀):先生は、とにかく迷いのない人だと思いました。

怪しい教室を主宰しているのですが、先生自身には「怪しいことをしている」という感覚がまったくなさそうなんですよね。ちえのわトランポリンに自信を持っているし、ちえのわトランポリンを通じて、本気で人を救おうとしている。その妙な自然さが、最初からとても印象に残りました。

露骨に怖い人だとは思いませんでした。まっすぐすぎるがゆえに危うい人だとは思いましたが、それは「怖さ」とは少し違うものだと感じていました。不気味さというほうが近いのかもしれません。

──先生自身は、本当に生徒たちを救いたいと思っているのでしょうか。先生の言葉や行動には優しさがありますが、それが次第に別のものにも見えてきます。演じるうえで、先生自身に悪意があると思っていましたか。

香賀:私は、先生には悪意はないと思っています。ただ、自分の善意や方法をほとんど疑わない人なので、そこに危うさがある人物だと思います。

本人としては本気で相手のためを思って行動しているし、自分には救うことができると信じている。ある意味、お節介焼きなのかもしれません。

お節介って、されるがままでいれば楽と言えば楽ですし、一方で、迷惑だと思っても受け取らざるを得ないようなところもあって、難しいですよね。先生にも、そういう収まりの悪さがあるように思います。

ただ、生徒たちにとっては、それが救いになっているように見えるんですよね。

──先生の優しさと怖さを、どのように両立させましたか。いかにも怪しい人物として演じてしまうと、観客は最初から警戒してしまいます。先生を普通に存在させるために意識したことはありましたか。

香賀:「怖く演じよう」という意識は、あまり持たないようにしていました。先生本人は、自分のことを怪しいとも怖いとも思っていないはずですし、むしろ本気で相手を安心させ、救おうとしている人だと思っていました。

生徒への向き合い方についても、裏に悪意を隠した「表面的な優しさ」ではないと考えていました。その瞬間の先生は本当に相手を心配していて、良くなってほしいと思っている。そこはできるだけ素直に受け取って演じるようにしていました。

その結果として、先生の振る舞いが優しくもあり、同時にどこか不気味にも見える人物になっていたのであれば、演じ方として大きく間違ってはいなかったのかな、と感じています。

( Chapter 02 )

教室というシステム。救いと支配のあいだ。

──「深く、深く、深く」「内に、内に、内に……」という独特の言葉やリズムは、どのように作りましたか。声の高さ、間、繰り返し方、身体の動きなど、先生独自のリズムをつくるうえで考えたことを聞かせてください。

香賀:意識したのは、できるだけ無機的な印象を保つことでした。「深く、深く、深く」「内に、内に、内に……」という言葉は、やろうと思えばかなり情感を乗せることもできると思うのですが、そうすると音楽教室の先生のような感じになってしまう気がしました。

なので、声質や抑揚、動きを細かく作り込むというよりは、感情を乗せすぎず、一定のテンポで淡々と繰り返すことを意識しました。その機械的なリズムが、先生や教室の持つ無機的な雰囲気につながればいいなと思っていました。

──田野真悠さん演じる結依に対して、先生はどんな感情を持っていたのでしょうか。新しい生徒の一人として見ているだけなのか、それとも結依に特別な何かを感じ取っていたのでしょうか。

香賀:結依は、「ちえのわトランポリンの才能がある生徒」として、徐々に特別な存在になっていったのではないでしょうか。先生にとっては、自分のメソッドが非常によく作用する対象だったのだと思います。

結依が変化していくことで、先生自身が自分のメソッドの正しさをより強く確信していくような関係だったのだと思います。そういう意味では、先生にとって結依は、自分の信じているものを体現してくれる存在でもあったのかもしれません。

物語終盤の先生の行動を見ても、私には、結依が単なる生徒の一人以上の存在になっていたように感じられます。そこまで含めて考えると、物語が進むにつれて、先生の中で結依の存在が少しずつ大きくなっていったのだろうと感じています。

──先生と、以前から教室にいる生徒たちの関係をどう考えていましたか。信頼、依存、仲間意識、上下関係など、いろいろな見方ができると思います。先生は、自分が生徒たちに与えている影響力を自覚していると思いますか。

香賀:先生は、生徒たちのことを大事に思っていると思います。先生にとって生徒たちを大事に思うということは、自分のメソッドが正しく機能していることの証跡として生徒たちの存在を大切にしている、という感覚に近いかもしれません。だからこそ、生徒が教室にいてくれなければ先生は困るし、本気で彼らを救おうとしているのだと思います。

先生と生徒の一対一の関係性については、信頼や依存、上下関係など、いろいろな見方ができると思います。ただ、私自身はそこをあまり個人的な関係として捉えていませんでした。関係の中心にあるのは、あくまで「ちえのわトランポリン」というメソッドそのものです。

先生が導き、生徒がそれを実践する。その結果として生徒が変化していく。そういう意味では、先生と生徒は一対一の人間関係というよりも、「教室」という一つのシステムの中で、それぞれの役割を担っているようなイメージを持っていました。

もちろん、その中には先生なりの優しさや心配もあるのですが、それすらも教室という仕組みの中に組み込まれているように見える。その、人間同士の関係でありながらどこか機能的でもある感じが、あの教室の無機的な「居心地の良さ」と不気味さにもつながっているのではないかと思っていました。

( Chapter 03 )

過去を持たない先生。「健康」とは何か。

──石川監督とは、先生の過去や正体についてどこまで共有していたのでしょうか。映画では説明されない部分も多い人物です。撮影前に設定を細かく決めたのか、それとも分からない部分を残したまま演じたのか聞かせてください。

香賀:石川監督とは、先生の過去や正体について掘り下げるような会話はほとんどしなかったと記憶しています。

役者としては、背景をある程度埋めたほうが演じやすいのではないか、と考える部分もありました。ただ先生の場合は、下手に過去を決めてしまうと、人物が説明可能になりすぎるような気がしたんです。私からも深く確認することはせず、考えようと思えばいくらでも設定できるところを、あえて決めないままにしていました。

過去を作り込むことよりも、「今この瞬間、先生は自分のメソッドを完全に信じている」という一点のほうが、演じる上では大切だと思っていました。

どこから来た人なのか、なぜこの教室を始めたのか、どこでこのメソッドに辿り着いたのか。そういったことがはっきりと分からなくても、先生自身の中では今やっていることに迷いがない。その確信さえあれば、役として成立するのではないかと考えていました。

後から知ったのですが、石川監督としても、先生の過去を細かく決めることで、観客に「こういう過去があったから仕方がない」といった同情的な見方が生まれることは本意ではなかったようです。そのため、意図的に背景を深く決めず、私ともその部分についてあまり説明や議論をしなかったのだと思います。

結果的には、分からない部分を無理に埋めず、その「分からなさ」を残したまま演じたことが、先生という人物には合っていたのかなと思っています。

──「健康」という言葉を、先生はどう考えていると思いますか。石川監督は「この映画の中で、誰が健康で、誰が不健康なのか」と語っています。香賀さん自身は、演じ終えたいま、この問いをどう受け止めていますか。

香賀:先生にとっての「健康」は、迷いや苦しみがなくなった状態なのではないかと思っています。ちえのわトランポリンを通じて、頭の中にある迷いや雑念を取り払い、一つの状態に整えていく。その先にあるものを、先生は「救い」であり「健康」だと捉えているのではないでしょうか。

一見すると、教室にいる生徒たちはどこか不健康な状態に見えるかもしれません。でも、本人たちは以前よりも救われているようにも見えるんですよね。逆に、教室外で普通に社会生活を送っている登場人物たちが、本当に健康なのかと考えると、それも簡単には言い切れない。

先生自身も、自分のやっていることにほとんど迷いがなく、自分のメソッドを信じて非常に安定している。そういう意味では、むしろ誰よりも「健康そう」に見えてしまうところもあると思います。

だから、この作品の中で誰が健康で、誰が不健康なのかを外側から簡単に決めることはできない。その曖昧さや、観る人によって答えが変わってくるところが、この映画の面白さの一つなのではないかと感じています。

( Chapter 04 )

嘘リアルの向こう側。先生は今日も、あなたを待っている。

──観客の反応を知ってから、先生の見え方は変わりましたか。「怖い」「救われたい」「この教室に行ってみたい」など、さまざまな見方ができる役です。意外だった感想や、印象に残っている反応はありますか。

香賀:先生に対する反応としては、「不気味だった」という感想をいただくことは多くて、そのあたりは石川監督が狙っていたところでもあると思うので、ちゃんと伝わっていたことは素直に嬉しかったです。

中には、心理の研究や臨床に携わっているという観客の方もいらっしゃって、「リアルな感じと胡散臭さのバランスが絶妙だった」「似非科学なんだけれど、なんとなく信じてしまいそうな感じがある」「専門家でなければ、そのまま受け入れてしまう人もいそう」といった感想をいただいたこともありました。

ちえのわトランポリンも、まったく意味不明なものではなくて、呼吸やリズム、集中といった、どこか理屈が通っているように感じられる要素が入っています。その「なんとなく納得できてしまう感じ」は、石川監督のおっしゃる「嘘リアル」という概念にも通じる部分だと思うので、それを作品の中で伝えることができたのなら良かったなと思っています。

いただく感想の中には、「先生こそが大人で、生徒たちを再教育しているように見えた」というものもありました。

私は演じるとき、先生には少し子どもっぽいところがあると思っていました。自分の考えやメソッドですべてをコントロールできると信じているような、ある種の全能感に近い子どもっぽさですね。

ただ、内面的にはそうした子どもっぽさを持つ先生が、教室の中では「大人」として機能し、生徒たちを導いている、と見ることもできる。その捉え方もとても面白いと思いました。

こうした感想をいただくたびに、私自身の中でも先生という人物の見え方が少しずつ変化しているのかもしれません。

──最後に、もし先生が、いまこの記事を読んでいる人を教室へ勧誘するとしたら、何と言うと思いますか。香賀さんではなく、先生として一言だけお願いします。

香賀:「ちえのわトランポリンについては、難しく考えなくても大丈夫ですよ。まずは一度、見学にいらしてください。」