【REVIEW 02】『還り花』映画評|巡り巡る生命、その中にいる私たち(菅波瑛子)

フィリピン・ボホール島。神秘的な島で、彼女は忽然と姿を消した——。まるで風が通り過ぎたかのように。

日本とフィリピンの国交正常化70周年を記念して製作された本作は、フィリピン政府観光省をはじめとする関係機関の後援のもと、ボホール島の豊かな自然を映し出しています。

幻想的で神秘的な島は美しいと同時に、その美しさに人はどこか恐怖を覚えるものでしょう。美は時に人を狂わせるもの、と人はどこかで思っているのではないでしょうか。完璧な存在を前に、人は心をかき乱されます。

7,000以上の島々からなり、マレー系を中心としたさまざまな民族が暮らす多民族国家、フィリピン。歴史的にイスラームやスペインの影響を受け、多様な文化が融合し、独自の文化を創り上げてきました。

第二次世界大戦では、日本軍が真珠湾攻撃とほぼ同時期に侵攻し、日米両軍による激しい戦闘の舞台となりました。今もなおルソン島、レイテ島、コレヒドール島には、激戦を物語る痕跡や日本軍による要塞などが残っています。

現在ではリゾート地として観光人気も高いフィリピン。有名な島といえば、セブ島が挙げられるでしょうか。そんなセブ島からフェリーで約2時間の場所にあるのが、ボホール島です。

美しい自然が広がるボホール島の人気者は、世界最小級の霊長類として知られるメガネザル「ターシャ」です。劇中にもターシャが登場しています。

観光地として有名なボホール島を、単なる観光地として描くのではなく、そこに失われつつある自然への畏怖と感謝を込めたのが本作と言えます。

母親と共に和食店を営む一樹は、休暇を得て、恋人のさらと共に念願だったフィリピン・ボホール島への旅に出ます。一樹はそこで、さらにある思いを伝えようとしていました。幸せな旅行になるはずだった、あの朝までは。

朝、目を覚ますと、隣にさらの姿はありませんでした。高校時代からの親友であるホテルの支配人や、ガイド、現地で知り合った日本人の映画監督らも協力し、さらを探しますが、その姿はどこにもありません。

世界で一番大切な存在が、忽然と姿を消してしまう。その苦しみや不安、焦りは想像もできません。彷徨いながら探し続ける一樹の心をかき乱すかのように、森が襲いかかります。美しい自然が、目の前に立ちはだかる障壁のように思えてきます。

さらは本当に存在したのか。すべては一樹の幻想だったのではないか——。観客もまた戸惑いに包まれていきます。そもそも、人の存在はどのようにして証明できるのだろうか。人の記憶はどこまで確かなものだろうか。人は何をもって他者の存在を認識しているのだろう。

今にも気が狂いそうな一樹の目の前に、一人の男性が現れます。その男性が語るのは、自分が見ている世界と、もう一つの世界の真実でした。旅の果てに一樹が気づいたこと。それは、当たり前のように存在している自然のありがたさでした。

植物が光合成をして酸素を生み出し、土に栄養を与え、地球上の生命は循環している……。知識として知っていることと、実際に感じることは別物です。花はなぜ咲くのか。美しい花に、人が何かを感じ取ろうとするのはなぜか。

日々食べている野菜も、自然が生み出したものです。人は自然なくして生きていくことはできません。それなのに、日常の風景となってしまっている木々、当たり前のように食べている野菜。そのすべてが、決して当たり前のものではないのかもしれません。

人は自然なくして生きられないと同時に、自然に勝つこともできません。太古の昔から自然を恐れ、コントロールしようとし続けてきた人間。そんな私たちは今こそ、自然に立ち返るべきなのかもしれません。

そして、さらを失った一樹は、すべてを失ったわけではありません。さらは一樹と共に生き、その記憶も温もりも、一樹の中に残っています。風のように通り過ぎたように思えても、確かに一樹の中に残るものはあるのです。

人は出会いと別れを繰り返し、記憶はいつしか朧げになるものです。それでも、確かに残っているものがあります。すべてが失われるわけではありません。人はどうしても失うことを恐れてしまう。愛すれば愛するほど、その痛みも大きくなります。

失った痛みも、そう簡単になくなるものではありません。しかし、恐れるあまり、確かに自分の中に存在し、共にあるものまで見失ってはいけません。都会の喧騒の中でも、大自然の中でも、共にあるものは常に共にあるのです。

神秘的なボホール島を舞台に、姿を消した愛する人を探し求める映画『還り花』。このタイトルの「還る」という言葉は、巡り巡る生命の循環を感じさせます。そして、循環するということは、巡り巡ってまた還ってくることでもあります。決して消えたわけではないのです。

結末を知ってから、もう一度本作を観てみると、さらの表情が観客、そして一樹に訴えていることに気づくでしょう。幸せであればあるほど、さらは苦しみます。今にも消えてしまいそうな透明感と、優しげでありながら悲しさも感じさせる笑顔。さら役を演じた彩雪の繊細な演技が光ります。

また、幻想的な世界の中にそびえ立つ教会は、1595年創設のバクラヨン教会です。サンゴ石を使った壁は光の加減で色が変わり、独特の温かみがあると言います。建築物をはじめ、美しいだけでなく、時に恐ろしく、さまざまな顔を持つボホール島も、本作の一つの登場人物と言えるかもしれません。

(菅浪瑛子/映画ライター)

映画『還り花』は2026年12月5日(土)より池袋シネマ・ロサで劇場公開!

Written by

菅浪瑛子

《映画ライター》
好きなインディーズ映画の紹介を中心に、2020年より映画情報サイト「Cinemarche」で執筆活動を開始。

2024年からは難民映画祭のサポーターとして活動し、同サイトにて2年間にわたり連載コラム「いま届けたい難民映画祭」を担当。映画を通して、社会や人の営みに目を向ける文章を継続して発表している。

現在は、Cinemago作品のパンフレット制作における編集作業にも携わりながら、映画の魅力や、その作品の奥にある思いを言葉によって紡ぎ、観客へ届ける仕事を続けている。