白いウサギを求めるうちに、いつの間にやら魔境入り。魔境を蔓延り跋扈する、奔放に狂う不条理どもに、ココロもカラダもぶっ壊される……そんな簡単なあらすじからでも、『キック・ミー 怒りのカンザス』に流れる『不思議の国のアリス』の血は感じとれる。
険悪な仲の赤の他人ながらも、「主人公サンティアゴを翻弄する」という一点では兄弟かと思えるほど行動が合致する天才発明家兼悪童のルーサー&町のチンピラたちの首魁ブリッツは、その太っちょなビジュアルからも「ハンプティ・ダンプティ」を連想してしまう。
ブリッツとその実弟ロー・テルに命令を下す裏ボスにして、映画作中で一番の危険人物ともいえるスーパー・ヒステリックな兄弟の母親も、やはり「ハートの女王」の姿が頭に浮かぶ。もしかすると、サンティアゴがトラックの荷台に揺られながら見た悪夢の中で、登場人物たちが巨大な姿となって彼を追い詰めるのも、「不思議の国のアリス症候群」が関わっているのかもしれない。
奇しくも同じCinemago配給作品であり、『キック・ミー』に先んじて「未体験ゾーンの映画たち2024」で劇場上映されたSFホラー映画『COME TRUE/カム・トゥルー 戦慄の催眠実験』にも、『不思議の国のアリス』の血は流れている。ナンセンスと悪夢をグツグツと煮込んだ魔女の大鍋のような児童小説の血筋は、よっぽど子孫が多いらしい。
『キック・ミー』の舞台となる地は、富裕層の町ミズーリ州カンザスシティ(KCMO)と、貧困をはじめ社会問題の絶えない町カンザス州カンザスシティ(KCK)。ミズーリ川を境に向かい合う二つのカンザスシティは非常に対照的で、それぞれが反転し映し出された鏡像にさえ感じられる。そして川という境界、映画の宣伝文においてKCKを評した「地獄」「魔境」という文言からも、「KCK=彼岸/あの世」「KCMO=此岸/この世」という構図が姿を現す。
不条理に満ちた異界を描き出した『不思議の国のアリス』の血筋と、二つのカンザスシティに込められた彼岸・此岸の構図から見えてくる、冥界巡り……いや、地獄巡りの物語としての『キック・ミー』。ゲイリー・ハギンズ監督が、なぜ自らの故郷KCKを「地獄」と位置付けた上で本作を描いたのかは、やはり先に触れた町の現状に深く関わっているのだろう。
ゲイリー監督はインタビューで「汚職とネグレクト、人生を窮屈なものにさせた高速道路システムなど、1960年代に生まれ始めた都市にとっての様々な苦悩は、川向こうのKCMOが繁栄する一方でKCKの発展を後退させた」と語っている。また主人公サンティアゴを演じ、現役の麻薬Gメンとしても活躍するヴァスケスは、ゲイリー監督と初めて出会った当時も「麻薬カルテルの潜入捜査中」だったことからも、KCKという町の現状を十二分に教えてくれる。
監督と主演俳優、図書館司書勤務と麻薬Gメン勤務と立場は違えども、KCKの「地獄」の側面を目の当たりにしてきた両者。その中で『キック・ミー』は、KCKをよく知るゲイリー監督やヴァスケス、脚本家ベッツィ・グランたちが、町で目にしてきた「ヤバい奴ら」をキャストに起用している。
そこには、KCKという町の奇妙奇天烈ぶりのリアリティを描くという演出だけでなく、「映画制作というワークショップを通じて、町の『地獄』を生きる人々が社会との関係を回復させる機会を作る」という別の意図もあったのではないだろうか。
海外の一部刑務所で行われている演劇ワークショップのように、様々な理由で社会からはぐれてしまった者たちにワークショップという形で「集団での創作表現活動」を体験してもらい、社会/他人との関わりについて再考を促す取り組みが存在する。
もし『キック・ミー』の映画制作にも、そのような取り組みとしての側面があったのであれば、ゲイリー監督がKCKで出会った人々をキャストに起用した理由と、10年という時間をかけて根気強く制作を続けられたエネルギーの正体が分かる気がする。
たとえ何かしらの罪を犯さずとも、「地獄」のようなところで生き続けるうちに社会も他者も自己も見失い、やがて自らの命まで手放して「本物のあの世」へ行ってしまう者は、決して少なくない。
そんな結末に至ってしまう前に声をかけるべきなのだろうが、社会からはぐれ、他者との話し方も忘れてしまった者に周囲は「ヤバい奴」というレッテルだけをぶつけるのが「普通」だ。そうした現状の中で『キック・ミー』の製作陣は、「ヤバい奴」と呼ばれてしまう人々に「映画に出てみないか?」と声をかける愛の行動を選んだ。
声をかけられても、結局悲しい最期に至ってしまう者ことも、決して少なくない。それでも『キック・ミー』の製作陣は、長い年月をかけて本作を完成させた。
その執念のエネルギーからは、愛すべき町KCKを「地獄」と自虐しながらも「KCKの「地獄」を知る人々とともに、お高くとまる隣町KCMOへ、映画の聖地気取りのハリウッドへ、オレたちの町のヤバさを見せつけてやる」「KCKを『町の外』から観ているヤツらに、この町を丸ごとぶつけてやる」という巨大な愛と怒りを感じる。
映画冒頭、主人公サンティアゴが背中に貼られたイタズラ書きに気づかないという場面から、ついつい人々は本作のタイトル「Kick Me」を「ボクを蹴っておくれ」と訳してしまう。
しかし本当は、「オレを蹴ってみろ、タコ」と訳すのが適切なのかもしれない。
その証拠に本作は、KCKの住民の1匹にして3本足のキュートなワンちゃん(その名はトリオ!)が初手から登場し、観客に不器用で、けれどもエグい顔面蹴りを真正面から容赦なく浴びせてくる。
そしてKCKを知らぬアマちゃん観客たちを、『不思議の国のアリス』の白ウサギのように、ナンセンスと悪夢に満ちた愛すべき魔境へと引っ張っていくのだ。
(河合のび / 映画ライター)
Written by
河合のび
1995年静岡県出身。映画配給レーベルCinemagoの映画宣伝・統括にして詩人。映画評を寄稿する一方、『キック・ミー 怒りのカンザス』『Kfc 食人連鎖』のキャッチコピー作成、『獄舎Z』の字幕翻訳を精力的に手がける。2025年公開のタン・チュイムイ監督・主演作『野蛮人入侵(原題)』では、日本公開版タイトル『私は何度も私になる』を命名した。


