黄色い衣をまとった、顔のない「ビースト」。
政治と経済が揺らぐベネズエラで、それでも音楽をつくろうとする青年。
ニコ・マンサーノ監督の『博士の綺奏曲』について、俳優、映画評論家、音楽家、批評家、そして国内外のレビュアーたちが残した言葉をご紹介します。
真木よう子(俳優)
かつて、幼い頃に神秘的な馬の観劇にいった時のことが脳裏に甦った。己だけがわかる作品にしたくなる。簡単に時代背景等を齧った人とは、この気持ちの共有を遠慮したい程。それ程までに特別で、台詞以外の映像や音楽や表情で心情を揺さぶられた初めての芸術作品だ。有名な画家の様に創造者亡き後の評価にならない事が嬉しい。
ダースレイダー(ラッパー/映画監督)
腐敗した政治、堕落したモラル。そんな灰色の影に覆われたつまらない日常を生きるアンドレスの傷口(くちびる)から漏れ出す音のなんと色鮮やかなことか。音楽がミュージシャンの元にやってくる感覚が優しく、儚く描かれていく。
荻野洋一(映画評論家/番組等の構成・演出)
78分の上映時間のあいだに87カットしか持たないこの映画がかもす音楽と空間性の調和は、見る者の心をひたすらにとろけさせる。
小川あん(俳優)
なんだろう……この映画全体の漂う雰囲気、空気感。ダリやマグリットのようなシュルレアリスムの絵画を鑑賞したときと似通った感覚を味わった。
吉岡正晴(音楽ジャーナリスト)
多くの余韻とスペースを持つこの作品は、ひょっとしてハイパー・インフレ、政治の腐敗が進むベネズエラにおける批判も含めた「白昼夢」のようだ。
佐々木敦(批評家)
バンドメンバーと袂を分かったアンドレスは、たぶん彼の脳内存在である鮮やかな黄色の衣をまとった顔のない「ビースト」たちと録音を行う。どちらかといえばリアリズムのこの映画において、そこだけ奇妙にファンタジックなのだが、かといって特別すごいことが起きるわけではない。そして、そこが良いのである。
加賀谷健(コラムニスト/イケメンサーチャー/クラシック音楽監修)
黄色い服をまとった怪しい修道女にしか見えないビーストこと、謎のスライド・ギター奏者は声を発しない存在。でもそのファンタスティックな運指は不思議と魅力的だ。わかった、これはたぶんベネズエラ版ファンタスティック・ビーストなんだ……。
村上貴亮(ミュージカル俳優)
その抽象性のおかげで、主人公の感情や周囲を渦巻く社会のやるせなさが、より一層深みを増して伝わってきた。「余白」があるからこそ、まるで自分自身の物語かのように映画へ潜ることができた。独特な世界観と美しい色彩、そして音楽という姿なき芸術が解け合い、そこはかとない物悲しさと安らかさで心が満たされていく。素晴らしい映画体験でした。
怪人ノビー(詩人/Cinemarche編集長)
澱み、濁る世界で人が求める、限りなく透き通ったものを、『博士の綺奏曲』は映し出す。それは、作中で幾度も、さまざまな姿で現れる水。あるいは、想像し続ける者の目にしか見えない、透明で温かな色彩を身にまとう魔術的幻想のビーストたち。そして、心の濾過の産物としての創作だ。
FilmAffinity
ユーモア、ドラマ、音楽、ファンタジーに連なる社会批評性。へスース・ヌネス演じる主人公アンドレスは、政治経済が不安定なベネズエラの典型的な若者の姿を象徴している。ベネズエラ映画史上、最高傑作。
nalknalk
テオ・アンゲロプロスからの影響が、色濃く残されている。収賄に手を染める警察(Matraquear)、職務を放棄した官僚、そして生き残る道を模索する末端の若者たち。作中のありとあらゆるものが、2016年にベネズエラで起こった事実に基づいている。映画と、音楽。市民に残された最後の自由たる娯楽まで、政権に渡してはならない。これは逃亡者の狂騒などではない、歴然とした《新しいベネズエラ映画》だ。
灰色の世界に、黄色い音楽が鳴る。
余白。
水。
黄色。
音楽。
そして、現実からほんの少しだけ浮かび上がる幻想。
11の言葉が見つめた『博士の綺奏曲』。
それぞれが見つけたものは違っていても、その先には、
息苦しい現実の中で、それでも何かを創り続けようとする人間の姿がある。
ニコ・マンサーノ監督が描いた、少し奇妙で、静かで、色鮮やかな映画。
『博士の綺奏曲』を、ぜひご覧ください。 現在、U-NEXTほか、各動画配信サービスにて配信中。


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