【REVIEW 02】『血を吸うスマトラオオコンニャク』映画評|異形の植物、悪霊祓い、そして少年の成長(星野しげみ)

東南アジアに生息する謎めいた巨大植物「スマトラオオコンニャク」と、イスラム文化に根ざした悪霊祓い。

一見すると結びつきそうにない二つの要素を融合させたのが、デイン・サイード監督による映画『血を吸うスマトラオオコンニャク』だ。

物語の中心となるのは、母親から受け継いだ霊能力を持つ祓魔師見習いの少年・イクバル。

彼が、“死体花”とも呼ばれるスマトラオオコンニャクに宿る禁忌の呪詛と対峙していく、エクソシズムとゴア表現が融合したホラー作品である。

スマトラオオコンニャクは、一輪の巨大な花のように見える花序と、大きな球茎を持つことで知られる世界最大級の植物だ。

開花は非常にまれで、その期間も短い。

さらに開花時には、送粉者を誘うため腐肉を思わせる強烈な臭いを放つことから、“死体花”とも呼ばれている。

そんな奇妙な生態を持つ植物と、土地に根づいた悪霊祓いの文化。

この二つが結びつくことで、本作ならではの異様な世界が立ち上がっていく。

デイン・サイード監督は脚本も自ら手掛け、CGだけに頼るのではなく、特殊メイクやSFXを積極的に取り入れている。

その質感には、どこか往年の特撮怪奇映画を思わせるものがある。

いまやCGであらゆる映像を作ることが可能になった時代だからこそ、実物の造形物や特殊メイクが画面にもたらす生々しさが、かえって新鮮に映る。

そして、その少し懐かしい感触と現代的な映像表現が混ざり合うことで、この映画だけの奇妙な肌触りを生み出している。

主人公イクバルは、祓魔師ノーマンのもとで育った少年だ。

母ディナから、類まれな霊能力を受け継いでいた。

しかし、その母は悪霊に憑かれ、命を落としてしまう。

悲しみに暮れるイクバルは、自らの強すぎる力を恨むようになる。父ノーマンもまた息子の将来を案じ、その力の一部を封印する。

そんな中、スマトラオオコンニャクや食虫植物を栽培する温室で、ある事件が起きる。

植物に貼られていた護符を外してしまったイクバルの友人が、変死体となって発見されるのだ。

護符を失ったスマトラオオコンニャクの仕業なのか。

やがて、その周囲で次々と惨劇が起こり始める。

力を封じられているイクバルも、自分たちを守るため、ある決断を迫られる。

本作のおもしろさは、まず何といっても、その組み合わせの奇抜さにある。

実在する“死体花”を怪物へと転化する発想。

イスラムの悪霊祓いをベースにした、ハリウッド映画とはひと味違うエクソシズム。

そして、特殊メイクやSFX、CGを組み合わせた、ケレン味のあるゴア描写。

どれも単体ではホラー映画で見覚えのある要素だが、それらがマレーシアという土地の文化の中で結びつくことで、見慣れたホラーとは違う景色が現れる。

悪魔に取り憑かれた人間の凄まじい形相。

獣のように歪む身体。

口から吐き出される、おぞましい分泌物。

そうした身体的な恐怖を強調する描写には、1973年の『エクソシスト』を思い出す人もいるだろう。

『エクソシスト』が、悪魔に取り憑かれた少女の変貌を強烈な映像として観客に焼き付けたように、本作もまた、肉体が人ならざるものへ変貌していく恐怖を容赦なく見せてくる。

その一方で、本作が単なる“見世物としてのゴアホラー”に終わらないのは、物語の中心にイクバルの葛藤が置かれているからだ。

イクバルは、自分の霊能力を嫌っている。

母を悪霊によって失った彼にとって、その力は苦しみの象徴でもある。

しかし同時に、それは大切な母から受け継いだものでもある。

捨ててしまいたい力でありながら、自分自身の一部でもある。

だからこそイクバルは、「この力を持って生きる」ということに苦しみ続ける。

そこから映画は、次第にもう一つの顔を見せ始める。

悪霊と戦うホラーであると同時に、「自分に与えられた力とどう向き合うのか」という少年の成長物語になっていくのだ。

イクバルが背負っているのは、霊能力という力だけではない。

母から受け継いだもの、その母を失った記憶、そして自分自身の宿命でもある。

『血を吸うスマトラオオコンニャク』は、東南アジアの文化と宗教に根ざした土着的なホラーを、特撮怪奇映画とゴア映画の快楽で包み込んだ作品だ。

実在する巨大植物、悪霊祓い、土地に根づいた恐怖、特殊造形。

異なる要素を大胆に混ぜ合わせながら、その中心には一人の少年がいる。

外側にあるのは、「悪霊を倒せるのか」という物語。

内側にあるのは、「自分自身を受け入れられるのか」という物語だ。

その二つが重なるからこそ、本作は単なる奇抜なゴアホラーでは終わらない。

異形の植物と悪魔に立ち向かう少年の姿を通して、自分の中にある逃れられないものを、いつか自分の力として受け入れられるのか。

そんな普遍的な問いまでが、あの巨大な“死体花”の向こうから浮かび上がってくる。

そして鑑賞後、もし植物園でスマトラオオコンニャクを見かけることがあったなら――。

映画を観る前と同じ目では、もう眺められないかもしれない。

(星野しげみ / 映画ライター)

Written by

星野しげみ

滋賀県出身。元陸上自衛官。現役時代はイベントPRなどの広報業務に携わる。退職後、専業主婦を経て、以前から好きだった「書くこと」を本格的に追求。

2020年より映画メディア「Cinemarche」で記事執筆・編集に携わり、現在も映画や人について言葉を紡ぎ続けている。

読書は年間100冊前後。好きな小説が映画化されると劇場へ足を運び、活字で想像していた世界が映像へ変わる瞬間を楽しんでいる。