次が見たい、ということ。|『SHOWMAN~4番目の影武者~』を観て

制作中の映画『朧の華火』というご縁があって、福室莉音さんが出演するミュージカル『SHOWMAN~4番目の影武者~』を観劇した。

主演は松岡充さん。

まず感じたのは、松岡充という表現者の感性が、この作品のネブラという人物と、かなり深いところで重なっている舞台だったということだ。

誰かを演じること。

誰かの期待に応えること。

そして、その先で、

「自分とは何者なのか」

と問い直すこと。

本作そのものが、俳優という、他者に成り切って生き死にする生き物を通して「生きること」を問い、ひいては「自分とは何か」を問いかける物語として作られている。

こうした「俳優を、人間として問い直す」という巧みさには、原作戯曲を韓国のハン・ジョンソクさんが書かれたことも、大きく関係しているのだろうか。

ボクは舞台を見ながら、韓国の映画や戯曲に触れたとき、たびたび感じるものを思い出していた。

自分自身へ、何度も問いを返していく感覚。

そして、簡単には消えてくれない感情の粘り。

どこか「念」とでも呼びたくなるようなものだ。

舞台を見ながら、ボクは表現する側の人間として、そうした固有の感情表現に、意識もしないままヒリヒリと嫉妬していた。

その作品を日本版として成立させる中心に立っていたのが、松岡充さんだった。

松岡さんには、単に主演として巧いというだけではない、この作品を自分自身の感覚へ引き寄せてしまうような存在感があった。

ネブラを演じている。

しかし、観ているうちに、

ネブラの中から松岡充という人間そのものが立ち上がってくる。

そんな瞬間がある。

社会性、政治性、民族性。

決して軽くはないものを抱えた戯曲でありながら、それらが思想だけで客席から浮いてしまわない。

松岡充という身体を通すことで、

それらが「人間の話」になっていく。

客席から時折聞こえてきた、すすり泣くような気配も、その結果だったのかもしれない。

ロックバンド「SOPHIA」のボーカルでもある松岡さんには、やはり独特の華がある。

今回、その華は作品から浮くのではなく、

むしろ作品の中心へ入り込んでいた。

日本版『SHOWMAN』を成立させるための、かなり大きな力だったように思う。

そして、この舞台でもうひとつ強く印象に残ったのが、

「音」だった。

舞台上では、ピアノ、キーボード、パーカッション、トランペット、ヴァイオリン、チェロによる生演奏が行われる。

俳優の声と、生の楽器の響き。

その距離が近い。

それがライブという緊張感を高め、音楽が単なる伴奏ではなく、登場人物の感情そのもののように感じられる瞬間があった。

松岡さんが歌い始める。

声と楽器の音が重なる。

そのとき、音楽そのものが舞台の前へせり出してくるように感じた。

その音を客席へ届ける、音響の岡田悠さんの仕事も、とても良かった。

新国立劇場小劇場で観劇するのは、ボクにとって今回が初めてだったが、

出だしから、ボクの耳にはチューニングがドンハマりだった。

少し大げさな表現を許してもらえば、

音が空間の中を、陽炎のように立ち上がっていく。

そんなふうに見えた。

この舞台において「音」は、かなり重要な役割を、しっかりと担っていたように思う。

そして今回、ボクがもう一人、強く気になったのが、

福室莉音さんだった。

本公演では、松岡充さん、潤花さん、藤岡正明さん、万里紗さん、福井晶一さん、福室莉音さんという6人の俳優が舞台に立つ。

福室さんを含む4人は、いわゆる「マルチマン」として、さまざまな人物を演じ分ける。

物語の中心にいるネブラとスア。

その二人を取り巻く世界をつくり、

二人の孤独や、社会から向けられる冷酷さを具現化していく。

一方では、マルチマンたちのコミカルな存在や動きが、

重い物語の中に「日常」という隙間もつくっている。

このバランスが面白かった。

福室さんとは、公演前にお会いした際、

「7役を演じています」

と聞いていた。

今回が初めてのマルチマンであり、なかでもベリタスとジェーンという役が大きな存在になるということも、舞台稽古前に行われた座談会の記事で読んだ記憶がある。

福室さん自身も、その座談会の中で、この作品が持つ「自分は何者なのか」という問いを、自分と同じ若い世代にも通じるものとして、彼女らしい等身大の言葉で語っていた。

だから、その人が実際に舞台で何をするのか。

ボクは、それを見てみたかった。

歌を聴いたとき、

「あ、上手い。こんなふうに歌えるんだ」

と思った。

役が変わる。

身体も変わる。

空気も変わる。

7役という数を、ただ衣裳や台詞で演じ分けるのではない。

短い時間の中で、

「今、この人は誰なのか」

を観客へ伝える機転がある。

そうした勘の良さや、俳優としての引き出しは、以前から福室さんに感じていた魅力でもある。

ただ、本公演を見て、

ボクがもっとも強く感じたのは、

それとは少し違うものだった。

「この人が、もっと物語の中心に立ったら、どうなるのだろう」

そんな先を想像させられた。

誰が一番上手かった、という話ではない。

それぞれに経験も実力もある俳優たちが、この舞台を成立させている。

その中で福室さんを観ていたとき、

舞台の外側にまで、

彼女の続きを想像している自分がいた。

それは、制作中の映画『朧の華火』で彼女と関わっているからなのかもしれない。

もちろん、それもある。

けれど、それだけではないように思う。

この物語そのものが、

「自分とは何者なのか」

という問いを投げかけていたからだろう。

舞台を観終えたとき、

逆にボクの中にも一つの問いが残った。

福室莉音という俳優は、これからどんな人物を生きるのだろう。

だから、

「次が見たい」

と思った。

そしてボクたちは、

その「次」の一つになるかもしれない映画を、いま作っている。

Written by

出町 光識

ライター編集者/プロデューサー・ディストリビューター
1968年 東京文京区に生まれ。日本映画学校 第一期生として卒業。
一度は撮影スタジオで助監督として働くも挫折。その後、震災にあったことを機に、ふたたび映画の道へ戻ることを決意。40代半ばにして、日本映画大学に編入学を果たし、映画理論を学びほぐす。卒業後には映画Web媒体でライター兼、編集長を経た後、映画配給を始める。現在は株式会社ゆかし代表となり、『朧の華火』『恋の遠隔操作』では製作を担当。
趣味は休日のプロレス観戦、仙女の推し活をしている。