終始、薄暗い画面が印象的な韓国ホラーだ。
濃い霧の立ちこめる森。その奥にぽつんと建つ作曲スタジオ「FORTE」。静かな風景でありながら、画面の隅々にまで、どこか逃げ場のない不安が漂っている。
物語は5つの章に分かれ、進むほどに不穏な空気を濃くしていく。
主人公のヨンジは、まだあどけなさの残る若い女性作曲家。憧れていたFORTEに採用され、明るい未来を思い描いてスタジオへやってくる。
彼女を迎えるのは、カリスマ作曲家のジョンファだ。
けだるい疲れをまとったジョンファと、溌剌とした若いヨンジ。その姿は対照的に映る。
初めてヨンジを見たジョンファは、「あなたは最近の子とは違うのね」と驚いたように口にする。そして「自分の若い頃を思い出す」と笑う。
その言葉には、自分がもう戻ることのできない場所にいるヨンジへの、わずかな羨望や嫉妬が滲んでいるようにも見える。
だが、ジョンファが求めていた人物像と、ヨンジは明らかに違っていた。
スタジオは、ある映画の音楽制作を担当している。
スケジュールを確認しながらジョンファが仕事を割り振っていく中、ヨンジの先輩として紹介されるのは、人当たりのいいドジンと、どこか変わったヘジュンだ。
しかしヨンジには、作曲家らしい仕事がほとんど与えられない。
命じられるのは、ヘジュンの手伝いばかり。しかも当のヘジュンは留守がちで、仕事はなかなか進まない。
期待を胸にスタジオへやってきたヨンジの中に、不満が積もっていく。
そんなある日、挙動不審だったヘジュンが突然、怪死する。
それまでのヨンジは、素直で明るく、野鳥と口笛で会話し、木々のざわめきに耳を澄ませるような、感性豊かな女性だった。
だが、ヘジュンの死を境に、その表情は急速に失われていく。
ジョンファも、ドジンも、周囲の人間たちも、ヨンジに向かって「あなたは純粋だね」と言う。
しかし、その言葉にはどこか嘲笑の響きがある。
この世界で生き抜くには、ヨンジは純粋すぎる。
そう揶揄されていることに、本人はなかなか気づかない。
腹黒さのない彼女には、理由もなく自分へ悪意が向けられること自体が、想像しにくかったのだろう。
明らかに、ヨンジはFORTEへ紛れ込んだ“異分子”だった。
そして本作には、もう一つ決定的な“異分子”が存在する。
それが何であるのかは、ぜひ自身の目で確かめてほしい。
もしヨンジが、野心だけを胸にスタジオへ乗り込んできた人物だったなら、話はもっと単純だったかもしれない。
のし上がることを第一に考える者にとって、FORTEはむしろ魅力的な場所なのだろう。
もちろん、ヨンジにも野心はある。
彼女は自らの才能を信じ、作曲家として世に出たいと願っている。映画のクレジットに自分の名前がどう記されるのかを気にするくらいには、名を残したいという気持ちも持っている。
だが、それ以上に強いのは、音楽そのものへの純粋な情熱だ。
自然に囲まれたこの場所で、素晴らしいものを生み出したい。
映画のための音楽に真摯に向き合い、自分の才能を作品のために使いたい。
その思いこそが、ヨンジを動かしている。
だからこそ、彼女は周囲から浮いていく。
映画とは総合芸術だ。
監督、俳優、撮影、音楽。そのほか数多くの人間が、それぞれの場所で何かを生み出そうともがいている。
『FORTE』では、作曲家たちが奏でる音楽そのものが、物語の重要な一部になっている。
フレデリック・アルバレスによる叙情的な旋律は、森の湿り気や登場人物たちの不安を包み込み、ときには画面以上に強く感情へ入り込んでくる。
FORTEに集まっているのは、高みへ上るためなら、自分のすべてを賭ける覚悟を持つ者たちだ。
その中でヨンジだけが、まるで違う規則で動いている。
自分がなぜここへ呼ばれたのか。
なぜ実績のない自分が採用されたのか。
なぜ作曲ではなく、裏方仕事ばかりを任されるのか。
彼女は、もっと早い段階で疑うべきだった。
しかしヨンジは、自らの音楽的才能を信じている。だから、自分が選ばれた理由を別のところに求めることができない。
その無防備さが、やがて彼女を追い詰めていく。
最後まで状況の異様さに気づききれない。その純粋さゆえの哀しさが、残酷なほど丁寧に描かれている。
しかもヨンジは、このスタジオにまつわる、ある“ウワサ”を知っていた。
その話はFORTEへ来る前から耳にしており、周辺の人間にも広く知られている。
過去に何かが起きた。
そう想像するには十分だったはずだ。
それでもヨンジは、ウワサに興味を持ちながら、深刻には受け止めないまま、憧れのスタジオへやってくる。
その彼女を、何かが大きな口を開けて待ち構えていたかのようだ。
森には常に、不穏な気配が漂う。
深い霧、揺れる木々、響く音。
そこに精霊や悪霊が潜んでいたとしても、不思議ではないと思わせる。
だが、本当に恐ろしい魑魅魍魎が蠢いているのは、森ではなく人間の世界なのかもしれない。
とりわけ、FORTEという場所には。
気が狂った末に死んだヘジュンと、にこやかに何年も働き続けているドジン。
果たして、まともなのはどちらなのか。
物語が進むにつれ、その判断さえ難しくなっていく。
そして最後に、強烈なカタストロフが訪れる。
それは、人知を超えた何かが引き起こしたものなのか。
それとも、人間の欲望と愚かさが生んだものなのか。
その境界は、最後まで曖昧なままだ。
しかし、たとえそこに異世界の呪いが存在していたとしても、その呪いを呼び寄せる原因を作ったのは、人間なのではないか。
そう思わずにはいられない。
大切にしてきた才能を、あまりにも下劣な理由で踏みにじられたヨンジ。
彼女には、立ち向かうほかなかった。
純粋で、一途で、だからこそこの場所では最後まで“異分子”だったヨンジ。
彼女はやがて、この森にとどまり続ける異形の存在になるのかもしれない。
そう考えると、最後に残るのは恐怖だけではない。
自分の音楽を愛し、自分の才能を信じていただけの一人の女性が、なぜここまで追い詰められなければならなかったのか。
その問いと、深い哀しみを残して、『FORTE』は幕を閉じる。
( 谷川裕美子 / 映画ライター)
Written by
谷川裕美子
東京近郊在住。Webライターとしてエンタメ分野の記事を専門に執筆したのち、知人からの推薦をきっかけに、2018年より映画情報サイト「Cinemarche」で映画記事の執筆を始める。
以降、試写会や映画館で数多くの作品に触れながら、鑑賞した映画について継続的に執筆。現在は映画を中心に、作品の魅力や登場人物、物語の背景などを自身の視点から読み解き、映画記事として言葉にしている。
映画館で作品と出会い、そのとき感じたこと、考えたことを記録するように書き続けている。


