【REVIEW】『ハイポ』映画評|「ゲイであること」の無関係性と関係性──LGBTQ+映画の新時代(北丸雄二)

 『ハイポ(hypochondriac)』というのは日本語では「心気症」と訳されます。自分が重い病気にかかっているのではないかと日常生活もままならないほどに異常に気に病む症状、今では「病気不安症(illness anxiety disorder)」と呼ぶようになった精神障害です。

 冒頭に「based on a real breakdown」と出てくるように、これは監督アディソン・ハイマンの「実際の精神崩壊を基に」構成された物語です。その体験は主人公の青年ウィルに投影され、ストーリーは長年接触を遮断していた母親からの電話を契機に、まるでサイコホラーのように進行していきます。

 ウィルはゲイ男性です。サイコホラーや犯罪映画でゲイが登場となると、欧米でも20世紀後半までは性的少数者の抑圧された欲望が精神的な異常性に結びつけられるのが常でした。フランク・シナトラが主演した『刑事』(1968)もウィリアム・フリードキン監督のアル・パチーノ主演映画『クルージング』(1980)もハンニバル・レクター博士の『羊たちの沈黙』(1991)も、同性愛やトランスジェンダーの要素がホラーのように犯罪に結び付けられてストーリーが構成されていました。しかし21世紀になってからはそういう要素はほとんど払拭されました。同性愛が反自然で背徳的で犯罪で精神異常だという”常識”が誤りだったとわかったからです。

 次に起きたのがそれまでの蔑視を償うかのような、被差別者の苦悩や強さや優しさを描き出す物語でした。『ブロークバック・マウンテン』(2005)や『キャロル』(2015)『リリーのすべて』(同)『ムーンライト』(2016)などがそうです。

 一方で、LGBTQ+がことさら言挙げされるわけでもなく普通の隣人のように存在する映画も2010年ごろから増えてきました。『キッズ・オールライト』(2010)や『ブルージャスミン』(2013)『ハッピー・トゥゲザー』(2017)などでは彼ら/彼女らは多様性社会そのものの一部にすぎません。

 そういう流れの中で、この『ハイポ』はさらなる次の物語の段階を示しているのかもしれません。

 ウィルはゲイで、ルークという優しく献身的な恋人がいます。しかし、彼のゲイネスはこの映画の主要テーマである「精神崩壊」には関係しません。性的少数者であっても、性的少数者であることとは無関係にさまざまな問題を抱える、という当然のことを、改めて描くという──つまりこれは交差性の問題です。

 人間はさまざまな事情がさまざまに交差して出来上がっています。同じゲイ男性でも出身が違う、経済基盤が違う、家族構成が違う、心理的環境も違う、さまざまな「差異」こそがその人を作り上げている。だから「ゲイ男性は」「アメリカ人は」「女性は」と主語を大きくしては語れない視線が必要になってきます。映画や小説はそもそもそういう「個」を土台に形作られているはずです。

 ですからここではいったんウィルのゲイネスから離れます。この映画はまさにハイポコンドリアックの呪縛性を描きます。その素因はどうも少年時、双極性障害で統合失調症の気配もある母親に無理心中で殺されかけたことにありそうです。遺伝性の精神疾患への恐怖、首を絞められたトラウマ、それらが母親からの留守番電話や小包によって解決できない重圧になっていく。その身体的不調はハイマン監督の体験を基にしており、とても生々しく辛い。そのトラウマを象徴するように登場するオオカミの着ぐるみは、ジェイク・ジレンホールが精神を病む高校生を演じた『ドニー・ダーコ』(2001)に現れる銀色のウサギ「フランク・ザ・ラビット」を連想させますが、『ハイポ』はそんなハリウッド的ドラマには飛躍しません。あくまでウィルの悪夢のような孤独と恐怖から焦点をずらさない。

 これもきっとハイマン監督の実体験でしょう。メンタルヘルス医療では的確な回答を得られず誰も親身になってくれない。そしてどこのクリニックにも貼られている「Be Bright Like Glitter and Bubbly Like Champagne」の犬の絵のポスターは、英語圏ではバースデーカードによくある定型句で、「金ピカみたいに輝いてシャンパンみたいに弾けてね」という明るいメッセージです。それはウィルの苦しみを軽視する医療システムへの皮肉です。実際はオオカミなのに、ここでは可愛い犬というわけです。

 さて最後にまたゲイネスに戻りましょう。このポスターの犬、明るいメッセージは、性的少数者が感じる「普通に明るく健康に」という社会の正常性バイアスを含意しています。同時にまた、個々の交差性がウィルに寄り添うことになります。

 冒頭から間もなくで登場する職場で、同僚サーシャのパニック障害をウィルが救うシーンは、「交差性」がもたらすウィルとサーシャの「差異」ではなく「共通項」こそを手がかりに、人間が寄り添える可能性を示します。HIV陽性の若者たちをケアしているルークもそうです。「子どもたちの救世主」の線は、その延長線上にウィルにとっての救世主とも交差する(何度も関係性の危機に直面しますが)。

ゲイネスはここでは、サイコホラーのように進行するウィルの精神崩壊を、むしろ破局から救うものとして存在します。ウィルとルークというこの二人の関係性の、ジェンダー差による権力勾配のなさもまた、救いを求めることを容易にする一因でもありましょう。もっとも、ウィルの「ハイポ=オオカミ」はそう簡単に去りはしません。けれどそれを認めて共に生きていくしかない受容と覚悟がラストシーンです。でもそこにはルークもいるのです。

(北丸雄二:ジャーナリスト/作家)*パンフレットより

Written by

北丸雄二

ジャーナリスト/作家
東京新聞(中日新聞)ニューヨーク支局長を経て1996年に独立。在米25年の2018年に帰国。現在はTBSなどのラジオやネット番組などで時事解説を行うほか、東京新聞で「本音のコラム」連載中。日米比較社会論『愛と差別と友情と LGBTQ+』(人々舎)で「紀伊國屋じんぶん大賞 2022」2位。他に政治・映画・演劇・文学評論や英米文学・演劇上演台本の翻訳も多数。今秋、評論集『このクイアな世界(仮題)』刊行予定。