映画の編集は、一人で画面に向かう仕事だと思われがちだ。
もちろん、一人でなければ見つけられないものもある。
けれど、ときには誰かが隣に座ることで、昨日まで見えていなかったものが見えてくる。
9月22日、ある監督を、株式会社ゆかしの代々木事務所に招いた。
そこには、CinemagoのResident Creatorsとして席を置く、松田彰監督のデスクがある。
今回は、そのデスクで、ある監督が編集中の約80分の映画を、松田監督と一緒に見直すことになった。
ボクも同席。三人で本編を観ながら、シーンの始まりと終わり、次の場面へ移るタイミングを、一つひとつ確かめていく。
ここは、もう少し早く切ってもいいのではないか。
いや、この間があってこそ、次の場面が生きるのではないか。
そんなふうに、画面を止めては話し、戻してはまた観る。
あーでもない、こーでもない。一度つないだ映像を、別の角度から眺め直す。
松田監督は、長年、映像制作に携わってきた。その松田監督が、ある監督の約80分の本編を繰り返し観て、一つひとつのつなぎ目について、ともに考える。
考えてみれば、奇跡のような時間ではないか。
ただし、松田監督は「ここで切るのが正解だ」とは言わない。
この場面を残すと、何が伝わるのか。ここで次の場面へ移ると、観客にはどう見えるのか。
松田監督は、自分が見つけた可能性を差し出す。ある監督はそれを受け止め、もう一度、自分の映画と向き合う。
意見が一致することもあれば、違うこともある。
大切なのは、松田監督の考えどおりに編集することではない。
ある監督が、自分で理解し、自分で選び、自分で決めることだ。
そのやりとりは、ボクにはプロレスのように見えた。
相手の技を受けて、返す。返されたものを、また受け止める。
どちらが正しいかを決めるためではない。“一本の試合”を、もっと面白くするためだ。
ボクはといえば、ブッカーのような立場で口を挟む。
この場面を、観客はどう観るだろう。
どこで引き込まれ、どこで息をつくのだろう。
最後まで観た人の中に、何が残るだろう。
二人がつくり手として技を掛け合う傍らで、ボクは劇場という会場と、まだそこにいない観客を思い浮かべている。
三人とも、見ている角度は違う。
けれど、目指しているのは、同じ一本の映画だ。
そして、最後にリングへ上がるのは、ある監督。ただひとりである。
ある監督の映画が劇場で上映されるかどうかは、まだ分からない。
それでも、今、目の前には80分の映画がある。
年齢も、経験の長さも、ここではひとまず脇に置いておく。
映画をつくる人間が、映画について話している。
ただ、それだけの時間が、こんなにも貴重なのだ。
作業を終えたあと、三人で町中華へ行った。
赤星のビールを飲みながら、シュウマイ、エビチリ、豆苗炒め、海老マヨチャーハンを食べる。
さっきまで画面の中の数秒をめぐって話していた三人が、今度は同じ皿へ箸を伸ばしている。
リングの上では、技を受けるか、返すか。
町中華では、シュウマイを取るか、エビチリを取るか。
こちらの判断は、編集よりずいぶん早かった(笑)。
一本の映画が完成するかどうかも、劇場にかかるかどうかも、まだ分からない。
それでもボクは、ある監督を劇場というリングに立たせたい。
もちろん、そこへ上がるまでに、まだまだやることはある。
三人で映画を観て、考えて、また観る。そうやって試合(……あ、映画ね)を組み立てていく。
ただし、肝心の試合をするのは、ある監督だ。
ボクはブッカーとして、観客との出会いを考える。
松田監督は、ある監督が自分の試合をつくれるように、技を受け、返す。
さて、次はどんな試合になるだろう。まずは、もう少し編集を進めなければならない。
町中華では、あれほど迷わず注文できたのに。
映画のメニューは、なかなか決まらない(笑)。
To Be Continued…
Written by
出町 光識
ライター編集者/プロデューサー・ディストリビューター
1968年 東京文京区に生まれ。日本映画学校 第一期生として卒業。
一度は撮影スタジオで助監督として働くも挫折。その後、震災にあったことを機に、ふたたび映画の道へ戻ることを決意。40代半ばにして、日本映画大学に編入学を果たし、映画理論を学びほぐす。卒業後には映画Web媒体でライター兼、編集長を経た後、映画配給を始める。現在は株式会社ゆかし代表となり、『朧の華火』『恋の遠隔操作』では製作を担当。
趣味は休日のプロレス観戦、仙女の推し活をしている。


