【REVIEW03】『劇情』映画評|個性も夢も、あってもなくてもいい

就活は、サバイバルだ。

社会にとって役立つ人間であること、どれほど能力を積み上げてきたかを、証明しなければならない。何者でもない自分をさらけ出して、付加価値をつけなければならない。

存在しているだけで許されていたはずの「私」が通用しない。

どこまでも自分を消耗し、「これ以上、何をすればいい」というところまで追い詰められることもある。

人に語れる夢がない、個性がない。それは負け組か?

夢を追っていれば許される?

自分以外の全てが眩しくて、悔しくて。そんな就活を経験した人も、経験しなかったことにマイナスな気持ちを抱いている人も、「就活」を題材にした映画には心をかき乱されるだろう。

社会に出ることは、正解のない道で生きていくことだ。

若い頃は、足掻いて苦しんでのたうち回る。

しかし、いつしか自分を納得させ、もっともな理由をつけて生きていくようになる。

過ぎ去ってみれば、就活の苦々しさも薄れ、過去の出来事になる。時間が経てば、夢も個性もなくたっていい、と思える。

大学4年生の井上彩は、就活がうまくいかず悩んでいる。

「あなたの個性は?」

小さい頃から「彩は何でもできる」と言われ、友人からも「彩は何でもできるのに、どうして内定もらえないんだろうね」と言われる。

何でもできるけれど、やりたいことも、夢もなかった。

彩は、映画監督になりたいという夢を持つ田島健吾に、夢がないことを話すと、「生きていて楽しい?」と言われ、その言葉が忘れられなくなる。

そんな田島に誘われ、映画制作を手伝うことになった彩は、不意に聞こえたエキストラたちの会話にハッとさせられる。

「俳優になりたいと思ったことはないな」
「通行人も主役」

映画だけではない。社会には「通行人」が溢れている。

名前や肩書きのある役を演じる人生でなくてもいい。世の中の大多数が「通行人A」だ。

「通行人A」であることを誇ろう。

就活は否応なしに世間の物差しで測られ、「勝ち組」「負け組」のレッテルを貼られる。

焦りから自分もその物差しに執着し、自分のやりたいことが何か、向いていることは何かわからなくなる。

いい就職先から内定をもらうことが全てだと思ってしまう。

就活で足掻いている当事者にとって、その物差しから離れて肩の力を抜くことは難しい。

しかし、夢も個性もなくてもいい。そのうち見つかるかもしれない。もがき苦しむ若者の心をふっと軽くさせてくれるような軽やかさ、優しさが本作にはある。

彩と同様、エキストラの会話にハッとさせられたり、解放されたりした人もいるだろう。

一方で、夢を追う若者にもきちんと眼差しを向けているのが、本作だ。

父親との思い出から映画監督を志すようになったという田島。

夢を追う若者を描く映画やドラマは、大抵、厳しい現実を突きつけてくる。

しかし、比嘉一志監督はそうではない。夢を追う若者が好きなことをする楽しさと、さらなる一歩を描いてくれる。

田島の一歩が彩に波及し、彩の気づきと一歩につながっていく。

比嘉監督は、大学卒業後、地元の企業でエンジニアとして働いていた。そして社会人8年目、30歳の時に、やりたいことをやろうと映画監督を志し、東京の専門学校に入学したという経歴を持つ。

「人生一度」という劇中の言葉には、まさに比嘉監督の思いが表れているのかもしれない。

同時に、就活でもがく彩、夢を追う田島、その両者に監督自身の経験が投影されていると言えるのかもしれない。

夢がない彩と、夢を追う田島。対照的な2人を中心とした物語に良いアクセントになっているのが、キャンプ仲間の千葉友美と芝山隆一である。

芝山隆一を演じているのは、お笑いコンビ「ドンココ」のりゅうだ。

ユーモラスな2人が織りなす会話と、彩を見守る空気感は、観客にとっても安心感がある。

泥臭い現実だけではない優しさが、比嘉監督の魅力だ。

否応なしに「選ばれる/選ばれない」で振り分けられてしまう就活。

就活だけではない。夢を追うこともそうだ。

正解のない、自分で選択するしかない人生で、もがき苦しむ時期は誰にだって訪れる。

ある意味、もがき苦しむのも若者の特権かもしれない。大人になれば、頑張らずにうまく生きていけるようになってしまう。諦めることを覚えてしまう。

だからこそ、ジタバタできる時に思いっきりジタバタしていいのだ。遠回りも近道もない。何一つ無駄なこともない。一つ一つの選択が自分の人生を作っていく。

立ち止まってみることも、時に必要だ。

そんなことを教えてくれるのが、映画であり芸術なのかもしれない。

比嘉監督の優しく寄り添う思いが込められた本作は、今もがいている誰かに、もしくは、かつてもがいていた誰かに、その思いが伝わっていく。

答えをくれるわけではないかもしれないが、映画は、芸術は、いつもそばにいる。

ふとした気づきを得たり、ふっと心が軽くなったり。映画に救われてきた、そんな誰かがまた新たな映画を紡ぎ出していくのだろう。

『劇情』もまた、そんな「映画」の一つだ。 

(菅浪瑛子/映画ライター)