タン・チュイムイ監督 Interview
タン・チュイムイ(陳翠梅)
1978年、マレーシア生まれ。映画監督・プロデューサー。『タレンタイム~優しい歌』(2009)のヤスミン・アハマドらとともに、「マレーシア・ニューウェーブ」を牽引した映画人の一人として知られる。
長編監督デビュー作『愛は一切に勝つ』(2006)で、釜山国際映画祭ニュー・カレンツ・アワード、国際批評家連盟賞を受賞。さらに第36回ロッテルダム国際映画祭ではタイガー・アワードを獲得した。
約10年の監督業休止を経て発表した復帰作『私は何度も私になる』では、第24回上海国際映画祭・金爵賞審査員グランプリを受賞。
2024年には、ミュウミュウ「女性たちの物語」第27弾作品として最新監督作が東京で上映されたほか、エグゼクティブ・プロデューサーを務めた『蒙古馬を殺す(英題:To Kill a Mongolian Horse)』がベネチア国際映画祭で受賞を果たすなど、現在も監督・プロデューサーの両面で国際的に活動を続けている。
( Chapter 01 )
母になって、映画をつくる時間が変わった。
──『私は何度も私になる』は、タン監督にとって『Year Without A Summer』(2010)以来となる長編映画での復帰作です。
タン・チュイムイ監督(以下、タン監督):母親になってから、「映画の仕事を続けながら生きる」というテーマは、以前よりもずっと切実なものになりました。
親になるということは、ときには自分にとって大切なものを手放すことでもあります。多くの親は、自分の夢を諦めてでも子どもを育てようとします。
私の場合は、そこまで極端ではないかもしれません。それでも、母親になる以前に比べれば、自分のために使える時間をたくさん手放す必要がありました。
脚本を書く時間も、撮影する時間も、思うようには確保できなくなりました。今でも、仕事と息子と過ごす時間をどう配分するのか、悩み続けています。
本作『私は何度も私になる』では、そうした仕事と子育ての狭間で、私自身が考え続けてきたことを描いています。
( Chapter 02 )
「母親ならこうあるべき」から離れる。
──「仕事と子育ての両立」というテーマは、タン監督自身が演じた主人公ムーン・リーにも反映されています。新作アクション映画で女優復帰を目指すムーンは、離婚を経験し、シングルマザーとして子どもを育てています。
タン監督:母親というのは、常に罪悪感を抱かされやすい存在だと思っています。子どもや家庭に何か問題が起きると、多くの場合、「母親の責任」とされてしまう。育児についての考え方も、本当にさまざまです。
「子どもをきちんと躾けて、明確な境界線を設けるべきだ」という人もいれば、「子どもの欲求や興味にできるだけ応え、自由にさせるべきだ」という人もいます。
そして、どちらかの方針を選ばなければ、「子どもがダメになる」とまで言われることもあります。
でも、そうした理論が、すべての親や子どもに当てはまるわけではありません。
私は最終的に、そうした「母親はこうあるべき」という固定観念に従うのをやめました。
──哲学者ハンナ・アーレントの言葉と、本作の原題『野蛮人入侵』には重なるものがあります。子どもは、親にとって予測も制御もできない「新しい存在」でもあります。
タン監督:母親にも、いろいろなタイプがいると思います。世間では、「女性は子どもを産めば、自然に母親としての能力が身につく」と考えられがちですが、実際にはそうではありません。
母親になることは、誰にとっても初めての経験です。一から学んでいかなければならない。
ムーンというキャラクターは、私とプロデューサーのウー・ミン・ジンの実体験をもとに作り上げました。映画の前半では、ムーンは「母親」という役割の重さに押しつぶされそうになります。
けれど後半になると、彼女は少しずつ自分自身の身体や人生を取り戻していく。それによって、母と子の関係も少しずつ変化していきます。
( Chapter 03 )
身体を取り戻すと、人生も動き始める。
──本作は、美しい海辺の町での滞在から始まります。一見すると穏やかな風景ですが、その一方で、ムーンは新作アクション映画への出演に向けて、過酷な武術の稽古を続けています。
タン監督:最終的にこの映画は、「母親」や「女性」だけを描いた作品ではなくなったと思っています。
男性であっても、武術のような鍛錬を通して、自分自身の身体や人生を取り戻すことはできるはずです。もちろん、それは必ずしも武術である必要はありません。
書道かもしれないし、ダンスかもしれない。ヨガかもしれません。何か一つのことを選び、身体を使いながら、少しずつ上達していく。
その過程で、自分自身にもう一度出会うことができるのだと思います。
( Chapter 04 )
武術は、“動く瞑想”のようなもの。
──タン監督にとって、武術は単なるアクションのための訓練ではないのですね。
タン監督:そうですね。私にとって武術は、“動く瞑想”のようなものです。ほかのスポーツと比べると、少し極端な部分もあるかもしれません。でも最終的な目的は、自分自身の身体を知ることです。
どう動くのか。どこまで動けるのか。どこに力が入り、どこに弱さがあるのか。そうやって身体を知ることは、自分自身を知ることにもつながっている。
この映画で描きたかったのも、最終的にはそういうことなのだと思います。


