Demachi Notes 009|純黒

代々木の事務所、

301号室の鍵を返す日が来た。

最後の掃除は、

副代表の河合くんと二人で行った。

この部屋を借りようと決めた理由は、

南側いっぱいに広がる、

ゆるやかに湾曲した大きな窓だった。

午後になると、

陽の光が部屋の奥まで差し込む。

その光が好きだった。

そして、もうひとつ。

この場所で働く若い二人にも、

その光が、

たくさん当たればいい。

そんな願いを、

ボクは勝手に抱いていた。

最後に残った仕事は、

そのガラスに貼られていた

映画のポスターを剥がし、

残った糊の跡を、

丁寧に落としていくことだった。

そこには、

もう去った者の時間も、

確かに貼り付いていた。

掃除を終え、

電気を消す。

静まり返った部屋に、

ボクは深く一礼した。

そして、

しばらく暗闇の中に立っていた。

不思議と、

寂しさよりも、

「黒」という色のことを

考えていた。

黒は、

何も映さない色ではない。

あらゆる光を受け止める色である。

だから黒は、

空っぽなのではなく、

光で満ちている。

画家カジミール・マレーヴィチは、

一枚の『黒の正方形』で、

「絵画とは何を描くものか」

という、それまでの常識を

根底から揺さぶった。

人物も、

風景も、

物語もない。

ただ、

黒い正方形がある。

何も描かないことが、

新しい表現になる。

黒は、

終わりではなかった。

始まりだったのである。

今、

会社もまた、

大きく姿を変えようとしている。

河合くんも、

ボクも、

タッグを組んで右往左往しながら、

新しいリングを

つくろうとしている。

だから、

暗い301号室の中で思った。

もしかすると、

人にも、

会社にも、

映画館にも、

「純黒」の時間が

必要なのかもしれない。

すべての光を、

一度、

受け止める。

過ぎていった時間も、

うまくいかなかったことも、

誰かと笑ったことも、

腹を立てたことも、

一度、

黒の中へ入れてしまう。

そして、

次に差し込む光を、

もう一度、

自分たちの色に変えていく。

映画館だって、

上映が始まる前には、

暗くなる。

暗転は、

終幕のためだけに

あるのではない。

次の物語を

始めるためにもある。

301号室の灯りは、

消えた。

ボクは、

振り返らずに扉を閉めた。

けれど、

ボクらの物語は、

まだ上映中である。

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MITSUNORI DEMACHI
株式会社ゆかし 代表取締役