Demachi Notes 004|事務所に来た女

8月11日、午前10時。

事務所に、
見知らぬ女が来た。

正確には、
見知らぬ女ではない。

よく知っている女なのだが、
ここでは、その正体については
触れないことにする。

とにかく、
その女が事務所にやって来た。

退職した者が残していった仕事が、
まだいくつも残っている。

メールは大量に残っている。

誰と何を話していたのか。

何が決まっていたのか。

何が決まっていないのか。

誰に返事をしていないのか。

ボクと河合くんで追いかけていると、
すぐに途方に暮れる。

そこで女は、
手際よくノートパソコンを開いた。

「Google Gemini」

「Claude」

「ChatGPT」

三人のAIを、
まるで性格の違う助手でも
使い分けるように呼び出していく。

「これは、どういうこと?」

「このメールから、
未処理の案件を拾って」

「この人とのやり取りだけ、
抜き出して」

AIが答える。

女は読む。

また質問する。

AIが答える。

また女が読む。

その繰り返しである。

しばらくすると、

昨日までただの
「大量のメール」だったものが、

少しずつ形を変えていった。

案件になり、

人間関係になり、

未処理の仕事になり、

最後には、

ひとつの地図のようになった。

ボクと河合くんは、
横で見ているだけである。

なんだ、これは。

同じメールを前にしているのに、
見えているものが違う。

女は仕事をしているというより、

事件現場から、
ひとつずつ証拠品を拾い集めているようだった。

誰が何を言ったのか。

何が行われたのか。

何が行われなかったのか。

そこに余計な感情を入れず、
ただ事実を拾っていく。

夕方になって、
ある程度の整理がついた。

女は、
特に達成感を見せるわけでもなく、

任務を終えたように、
パソコンを閉じた。

そして、
帰っていった。

何者なのか。

それは、
まだ言わない。

ただ、
その日の夜、
少し考えた。

人は、
何かを信じなければ、

創作物をつくることは
できないのではないか。

人を信じる。

一緒にやってくれる人を信じる。

あるいは、

まだ存在していないものが、
いつか形になることを信じる。

たとえば、
インディーズ映画なんて、
その典型である。

誰に頼まれたわけでもない。

完成する保証もない。

映画館で上映できるかもわからない。

観客が来てくれる保証もない。

それでも、

つくる。

人を信じることと、

何かをつくることを
信じること。

同じ「信じる」でも、

どうやら、
少し違うものらしい。

だから、
自主映画の監督と話していると、

時々どうしても、
話が交わらないことがある。

たぶん、

どちらかが
間違っているのではない。

信じているものが、
違うのだ。

そんなことを考えていたら、

昼間の女のことを
思い出した。

あの女は、

人を信じて
仕事をしていたのだろうか。

AIを信じていたのだろうか。

それとも、

「分からないものは、
分からないまま感情で埋めず、
誰かに訊けばいい」

ということを、
信じていたのかもしれない。

ただ一つだけ、
言えることがある。

その日、
事務所には、

ボクと河合くんには
見えなかったものを、

見ていた女がいた。

そして、

何事もなかったように
帰っていった。

……さて。

あの女はいったい、

何者だったのだろう。

———
MITSUNORI DEMACHI
株式会社ゆかし 代表取締役