映画『アメリアの息子たち』ガブリエル・アブランテス監督インタビュー|恐怖とユーモアのあいだで、怪物をつくる。

ガブリエル・アブランテス監督 Interview

ガブリエル・アブランテス(Gabriel Abrantes)

984年、アメリカ合衆国ノースカロライナ州生まれ。脚本家、映画監督、プロデューサー、造形作家。

ベルリン国際映画祭、ロカルノ国際映画祭、ヴェネツィア・ビエンナーレ、トロント国際映画祭などで作品が上映され、2010年代のポルトガルを代表する映像作家の一人として国際的に活動する。初の長編映画『ディアマンティーノ 未知との遭遇』(2018)は、カンヌ国際映画祭・批評家週間グランプリを受賞。

映画制作の一方、彫刻家・造形作家としても活動し、ロンドンのホワイトチャペル・ギャラリー、テート・ブリテン、パリのパレ・ド・トーキョー、ボストンのMITリスト・ビジュアル・アーツ・センター、ベルリンのクンストヴェルケ、ポルトのセラルヴェス美術館などで作品を発表してきた。

サンパウロ・ビエンナーレをはじめ、国際的な美術展にも参加。ニューヨークのリンカーン・センターやブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭(BAFICI)では回顧上映も行われている。現在はリスボンを拠点に活動。

( Chapter 01 )

ホラーという新しい器に、自分の美学を入れる。

──『アメリアの息子たち』は、カルト・ホラーの伝統を受け継ぎながらも、独自のユーモアや政治性を持った作品に見えます。今回、初めてホラー映画に挑戦されたそうですね。

ガブリエル・アブランテス監督(以下、ガブリエル監督):本作は、超自然的なホラー映画です。私は映画そのものが大好きで、これまでアニメーション、SF、コメディ、実験映画など、幅広いジャンルの作品を手がけてきました。

『ディアマンティーノ 未知との遭遇』(2018)では、1930年代から40年代のリマリッジ・コメディ、つまり再婚を題材にしたコメディ映画から影響を受けています。

そして今回は、初めてホラーというジャンルに挑戦しました。ただ、既存のホラー映画をそのままなぞるのではなく、そこに自分自身の美学を持ち込みたいと思いました。

奇妙なユーモア、倒錯、ショック、そして政治的なメッセージ。そうした異なる要素を一つの映画の中で混ぜ合わせています。

本作に登場する母親アメリアは、若さと美しさを執拗に追い求める人物です。彼女には、どこかドリアン・グレイのような、神話的なナルシシストの怪物性があります。

( Chapter 02 )

恐怖の原体験は、『シャイニング』だった。

──これまで観てきたホラー映画の中で、特に影響を受けた作品はありますか。

『シャイニング』(1980年)からは、特に大きな影響を受けています。初めて観たときのことを、今でもよく覚えています。

家族の故郷でもあるポルトガル北部の森の中の小屋にいて、映画監督のダニエル・シュミットと一緒に観ました。あれは、人生の中でも最も恐ろしい体験の一つでした(笑)。

ほかにも、『キャリー』『黒猫』『ブルーベルベット』『アメリカン・サイコ』『リング』『呪怨』など、多くの作品から刺激を受けています。

最近の映画では、アリ・アスター、ロバート・エガース、デヴィッド・ロバート・ミッチェルの作品にもインスピレーションを受けています。

ホラーというジャンルには、本当にさまざまな表現があります。恐怖だけではなく、不安や不快感、ユーモアや美しささえ、その中に共存できる。そこが面白いところだと思います。

( Chapter 03 )

美しさへの執着が、怪物を生む。

──本作では、ヨーロッパの貴族社会も物語の背景として描かれています。アメリアという人物を生み出すうえで、実在の人物から着想を得た部分もあるのでしょうか。

ガブリエル監督:物語を考える中で、第18代アルバ公爵夫人のような人物を思い浮かべていました。彼女は、画家ゴヤが描いた第13代アルバ公爵夫人の肖像画を自宅の居間に飾り、美容整形を繰り返したことや、華やかなパーティーを好んだことでも知られています。

そうした人物像が、アメリアというキャラクターを考えるうえで、一つの着想になりました。

豪奢な暮らしを享受しながら、若さや美しさを追い求め続ける女性。そして、その欲望が次第に執着へ変わり、怪物性を帯びていく。

アメリアは、単に恐ろしい人物として描きたかったわけではありません。「若く、美しくあり続けたい」という人間の欲望そのものを、少し極端な形にして見せた存在でもあります。

( Chapter 04 )

恐怖とユーモア、その境界を探る。

──今回、初めてホラー映画を演出するうえで、最も難しかったことは何でしょうか。

ガブリエル監督:一番難しかったのは、恐怖とユーモアのバランスを取ることでした。私はもともとユーモアが大好きなんです。

撮影中、俳優が少し面白い演技をすると、それをとても気に入ってしまう(笑)。だから今回は、むしろ自分自身の「笑わせたい」という気持ちを抑える必要がありました。

この映画には奇妙で笑える瞬間もありますが、物語の中心には非常に生々しい不快感があります。特に、アメリアとその子どもたちの間にある近親関係のタブーは、作品の感情的な核になっています。

そこを単なるショックとして扱うのではなく、観客が不安や嫌悪感を覚えながらも、どこか目を離せなくなるようなものにしたかった。

ユーモアが強すぎれば、恐怖が壊れてしまう。逆に、恐怖だけに寄せすぎると、この映画が持っている奇妙さや倒錯した魅力が失われてしまう。その境界を探し続けることが、今回の演出で最も難しく、同時に面白かった部分でした。