【PRODUCTION NOTE】ある映画、その後。|虹の音、その日の夕方。

大人たちが虹を見上げて
子どもたちが虹を見たと話す

どこかしこから見える虹は
きっと大昔から変わらず
人を魅了してきたんだろうな

空に架かる美しさは
たぶん昔から
吉兆だったのだろう

虹を見た。

正確に言えば、最初に虹を見たのではない。

声を聞いた。

何人かの大の大人たちが、廊下で楽しそうな声をあげていた。

部屋の奥にいたボクは、何だろうと思って、窓の外を見上げた。

そこに虹があった。

それから、電車での帰宅時間に、子どもたちの声も聞こえてきた。

虹を見たことを友だちに話している。

めったに現れないきれいなものを見つけたことが、うれしいのだろう。

その話し声まで、なんだか雨上がりのようにキラキラして聞こえた。

考えてみれば、不思議なものだ。

ボクは虹を目で見た。

けれど、虹の存在を最初に教えてくれたのは、音だった。

“映画は視覚の表現”である。

フレームの画面に何を置くか。

どこまで見せるか。

どこを切り取るか。

そして、時間というものを使いながら、連続する画を見せていく。

だから映画は、まず目で楽しむものだと思われる。

けれど、映画を映画たらしめているもののひとつに、《音》がある。

声。

足音。

風。

遠くを走る車。

ドアの閉まる音。

誰かが息をする音。

そして、音楽。

画面には映っていないのに、音が聞こえることで、その向こうにも世界があることが分かる。

右から声がすれば、そこに誰かがいるように感じる。

遠くから電車の音がすれば、画面の外に線路があるように思える。

雨音だけで、部屋の外の天気まで見えてくる。

音は、映っていないものまで映画の中へ連れてくる。

つまり音響とは、画面を飾るものではなく、観客に空間を感じさせるものなのだと思う。

今日の虹も、そうだった。

大人たちの声が、部屋にいたボクに、窓の外を見上げさせた。

子どもたちの話し声が、その虹が少し特別なものであることを教えてくれた。

もし誰も声をあげなければ、ボクは空を見上げなかったかもしれない。

虹はそこにあったのに、知らずに机で仕事をしていたかもしれない。

そして、その日の夕方。

先日から何度か書いている、ある監督の映画について、また一つ先へ進めることになった。

映像の編集を重ね、約80分まで組み上がった、その映画。

今度は、サウンドデザインをお願いすることになった。

ある監督と一緒に、これから映画の《音》をつくってもらう方へ依頼をした。

画面に映っているものを整える作業から、

画面には映っていない世界を、どう感じてもらうか。

映画づくりが、次の段階へ進んだ。

考えてみれば、映像編集のときには、

どこで切るか。

どこまで見せるか。

何を残すか。

そんなことを監督を含めて、三人で、あーでもない、こーでもないと話していた。

今度は、どこで音を聞かせるのか。

どこを無音にするのか。

画面の外側に、何を感じさせるのか。

また別の仕事が始まる。

視覚だけでは、世界のすべてを見ることはできない。

音によって、初めて見えるものがある。

映画も同じなのだろう。

美しい画がある。

そこへ声が加わり、風が吹き、遠くで何かが鳴り、音楽が流れる。

すると、四角いスクリーンの外側にまで世界が広がっていく。

映画館の暗闇の中で、観客はその世界を目で見て、耳で探す。

それが映画の、もっともダイナミックなところなのかもしれない。

昼間、ボクは虹を見た。

でも、その前に、

虹の音を聞いた。

そして、その日の夕方。

今度は一本の映画に、
まだ聞こえていない音を探し始めた。

To Be Continued…

Written by

出町 光識

ライター編集者/プロデューサー・ディストリビューター
1968年 東京文京区に生まれ。日本映画学校 第一期生として卒業。
一度は撮影スタジオで助監督として働くも挫折。その後、震災にあったことを機に、ふたたび映画の道へ戻ることを決意。40代半ばにして、日本映画大学に編入学を果たし、映画理論を学びほぐす。卒業後には映画Web媒体でライター兼、編集長を経た後、映画配給を始める。現在は株式会社ゆかし代表となり、『朧の華火』『恋の遠隔操作』では製作を担当。
趣味は休日のプロレス観戦、仙女の推し活をしている。