密接な母子関係の奥底に眠る、恐ろしい過去の記憶。薄暗い映像の中で、少しずつ真実が明らかになっていく。その過程に戦慄を覚える一作だ。
作家のジウクは、美容師の母・ギョンヒと二人で暮らしている。一見すると親密で穏やかな生活を送っているように見えるが、ときおり緊迫した空気が漂う。
幼い頃から、いなくなった父について話すことを母に禁じられていたジウクは、母が定めた絶対的なルールに従い、父についての記憶を封じ込めてきた。
しかし、その封印は思いもかけない事態によって解かれることになる。ギョンヒが早期認知症になってしまうのだ。
母は断片的に過去について語り始め、ジウクの記憶も否応なく呼び戻されていく。
同じ頃、父の実弟・ジョンミョンが現れる。牧師である彼は重い病を患っており、死期が近づいていた。
ギョンヒと同じように、自らに残された時間が少ないことを知るジョンミョンは、ジウク一家の真実を知ってから死にたいと切望するようになる。
次第に記憶が抜け落ちていくギョンヒの姿は、彼女が必死で築き上げてきた“王国”の城壁が、少しずつ剥がれ落ちていくかのようにも見える。
ギョンヒとジウク母子を見ていて思い浮かぶのは、“愛憎”という言葉だ。
間違いなく、互いを深く愛している二人。しかしそこには、同じほどの重さを持った憎しみも存在している。
「愛」と「憎しみ」は何層にも折り重なり、二人の胸の奥深くに沈んでいる。薄皮を一枚ずつ剥がすたび、そのどちらかが顔をのぞかせる。
息子を守らなければならないという深い愛。それと同時に、「この子さえいなければ、こんな思いをせずに済んだのに」という感情を抑えられないギョンヒ。
そんな母に何度も傷つけられてきたジウクもまた、母から離れる機会が訪れながら、結局は離れることができない。
二人は強い“共依存”の関係にある。皮肉にも、「憎しみ」さえ二人を固く結びつけるものになっていたのかもしれない。
母子が暮らす慎ましく穏やかな住まい。その階下には、暗く冷たい地下室がある。
この構図は、母子の人生そのものを映し出しているようだ。
本作において地下室は、彼らの記憶を象徴する場所でもある。地下室へ降りることは、記憶の底へ降りていくことを意味する。
地下室も、記憶も、二人にとっては禁忌の場所だった。
その地下室へ引き寄せられたジウクは、意識の混濁した母によって、固く封印していたはずの記憶の蓋を強引にこじ開けられてしまう。
突然、数年ぶりに姿を現した叔父ジョンミョンの存在も、ジウクを悩ませる。
大事なことを話すとき、いつも腹話術を使うジョンミョン。奇声にも近いその声は、まるで不吉な出来事の前触れのように、不安をあおる。
母の知る真実と、ジョンミョンの知る真実。
それらがパズルのように組み合わさり、やがてジウクの記憶を開く鍵となっていく。
ジウクの作家としての活動は、劇中ではそれほど具体的に描かれない。
しかし、彼の精神を支えているものの一つが、自著『真実が持つ力』であることが明かされる。
“悩みは真実と事実が異なることから生じる”と聴衆に語り、“信念が真実をつくる”とまで言い切るジウク。
真実を何より大切にしてきたはずの彼が、次々と明かされる恐ろしい過去を前に、立ち尽くすしかなくなる。
真実を知るのは怖い。
しかし、その真実を知る機会は、母がすべての記憶を失ってしまう前にしか残されていない。
いくつものジレンマの中でもがき続けるジウクの姿は、あまりにも痛々しい。
残酷にも時間は流れ続け、母の認知症は進行していく。ジウクは、たった一人の肉親を失う恐怖にも苛まれている。
「真実」を扱うことは、とてつもなく難しい。
ただ明るみに出せばいいわけではない。見つめることさえできない真実もある。
大人になるほど、真実だからこそ覆い隠さなければならないことも増えていく。本当のことをそのまま口にできるのは、もしかすると子どもだけに許された特権なのかもしれない。
真実は、ときに劇薬となって身を蝕み、火薬となって炎を上げる。
ジウク一家の「真実」は、まさにそういう種類のものだった。
だからこそ、ギョンヒは過去を封じ込めてきたのだ。
彼女の胸の内に病的なほど根を張る、息子への愛と憎しみ。
鋭い刃のような言葉でジウクを傷つけ、後悔しては息子を抱きしめる。その繰り返しだ。
ジウクの表情には、母への愛とともに、常に恐怖と畏れがにじんでいる。母に振り回されながら育ってきた時間が、その表情に刻まれているようにも見える。
もしジウクの父親が、愛情深く穏やかな人物だったなら。ギョンヒとジウクも、ごく普通の母子関係を築くことができたのではないか。
そう考えると胸が痛む。
しかし、物事はいつも“卵が先か、ニワトリが先か”という問いへ行き着く。
父が悪かったのか。それとも、母の裏切りが先だったのか。
どちらか一方だけを原因として片づけることはできない。
ただ一つ確かなのは、幼かったジウクに責任を求めることなどできないということだ。
彼はただ、自分に与えられた過酷な運命の中を生き延びようとしてきた。
物語の終盤、ジウクはさらに過酷な修羅の場面に出くわす。
そのとき彼が取った行動を、いったい誰が非難できるだろう。
その行為は同時に、崩れゆく母の“王国”を、ジウク自身が引き継ぐことでもあった。
大人たちの愛憎によって生まれた荒波の中へ投げ出されたジウクは、母と自分を守るため、もがき続けるしかない。
そして再び、過去の真実を深く、深く塗り込めていく。
決して、誰にも見つけられないように。
ジウクはもう逃げられない。
真実の番人となり、地中の住人となるしかないのだ。
ギョンヒは間もなくすべてを忘れ、苦悩から解放されるのかもしれない。
しかし、残されたジウクは、そのすべてを背負って生きていく。
死してなお息子を解放しない母は、やがて神にも似た存在となって、ジウクの胸の内に生き続けるのだろう。
(谷川裕美子/映画ライター)
Written by
谷川裕美子
東京近郊在住。Webライターとしてエンタメ分野の記事を専門に執筆したのち、知人からの推薦をきっかけに、2018年より映画情報サイト「Cinemarche」で映画記事の執筆を始める。
以降、試写会や映画館で数多くの作品に触れながら、鑑賞した映画について継続的に執筆。現在は映画を中心に、作品の魅力や登場人物、物語の背景などを自身の視点から読み解き、映画記事として言葉にしている。
映画館で作品と出会い、そのとき感じたこと、考えたことを記録するように書き続けている。


